青山のギャルソンのショップにディスプレイされてたグラフィティがペイントされた服、たぶんアレもマルジェラのグラフィティがペイントされた靴あたりをパクったと思うね。
もう何をやったらいいか分かんないので、ちょこちょこ小刻みにマルジェラのアイデアとかをパクってる印象。
ギャルソンの進化として「今までのギャルソンの美意識ならコレはNGだけど、こういう見立てをすればOKだよね」そうリミッターを外してくというメソッドがあるのだけど、ソレを最近はマルジェラのやり方をガイドにしてる、と言いたいのです。自分で考えてない。追随してる。
あと同じグラフィティでも意識が違う。マルジェラは匿名でギャルソンは記名。名のあるアーティストの権威で箔付けしちゃう。その為、服はただのキャンバスへと成り下がっちゃう。コラボなんて言葉はカッコイイけど、結局それはアーティストの絵の力に頼る他力本願。
でも匿名なら絵に力はない。あくまでネタ。自分のデザイン意図の道具としてコントロール出来る。
現代的感性のある自覚的なデザイナーはデザインの価値のみで立ちたいので値打ちのある絵は使わない。(そういう意味でアニメーターやイラストレーターなど、コマーシャルな絵を使うジュンヤの方が川久保より現代的感性を持ち自覚的だと言える。一世代前のデザイナーほど、その手の安易な権威主義を持ち込んで服のデザインの純粋性を壊す。その辺りの意識が「現代的か」をみる一つの分水嶺。
「どうせネット・匿名」だからと拙い言葉ばかり連呼してると、
現実の性格にも影響する。
あとさ、ネット上でばかりやり取りをしていると、
「要旨をまとめ相手に伝わる形に言葉を組み立てる」という努力を、
どんどんしなくなるんだよね。
脊髄反射的に単語を並べるだけで、なんとなく話が通じてしまう。
通じない場合は「相手が馬鹿だから」で済ませるようになる。
意識的に「真っ当な」言葉を使うようにしないと、
言語能力はどんどん落ちていくと思う。
危険厨や安全厨や皆が幸せになれますように。
世界が平和でありますように。
誰一人不幸になりませんように。
徒然草 第百十六段
現代語訳
お寺の名前や、その他の様々な物に名前を付けるとき、
昔の人は、何も考えずに、ただありのままに、わかりやすく付けたものだ。
最近になって、よく考えたのかどうか知らないが、小細工したことを見せつけるように付けた名前は嫌らしい。
人の名前にしても、見たことのない珍しい漢字を使っても、まったく意味がない。
どんなことも、珍しさを追求して、一般的ではないものをありがたがるのは、
薄っぺらな教養しかない人が必ずやりそうなことである。
いまは100万枚CDが売れてもそのCDを買った100万人しかその歌を知らないと言っていた。
いまは100万枚売れても10万人ぐらいしか知らないのかな
松本 そもそも、世の中の価値というものは常に移ろいゆくものですし、判断を下す人によっても変わります。だから、職業人としてのヴァリューも、時代や環境で変わるものですよね。
金子 おっしゃるとおりだと思います。
松本 でも、だからといって、常々「誰かが決めた価値基準」に合わせながら生きていくのは、なかなかつらいものです。ですからわたしの考えは、何かをやるときは、その価値や意味を自分自身で決めるしかないということ。自分の人生は自分にしか生きられません。他人の評価軸に惑わされることなく、それをやる価値があるかどうかというモノサシは、自分で決めていいのだと思います。
